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ヘイクラフト,ハワード(Howard_Haycraft)

1905年(明38)、アメリカのミネソタ生まれ。
1941年(昭16)、「娯楽としての殺人-探偵小説・成長とその時代」を刊行。
1942年(昭17)、スタンリー・J・カーニッツと共同で「20世紀作家辞典」を刊行。
1953年(昭28) 、ニューヨークの出版社H・W・ウィルソン社の社長に就任。
1991年(平3)、死去。


別冊クイーン・マガジン(べっさつくいーんまがじん)

1959年(昭34)10月創刊。季刊。早川書房発行。
日本人による高級ミステリ誌を意図して刊行され、一般文壇作家の起用につとめた。
短編コンテストで結城昌治高橋泰邦を発掘。
1960年(昭35)5月廃刊。計4冊。


別冊宝石(べっさつほうせき)

別冊宝石創刊号表紙1948年(昭23)1月創刊。岩谷書店発行、1956年(昭31)からは宝石社発行。
宝石」初期の頁数、印刷事情の制限を避けるため刊行。「捕物と新作長編」臨時号が第一号。次第に「宝石」に収録しきれない新人作家や、新人募集の候補作を並べていた。1949年(昭24)には本ではなく、枕であると称された「新鋭36人集」を含む別冊3冊を発行し、普通号と臨時増刊を加えれば、年間の紙の使用量は出版界一を誇った。
1950年(昭25)8月の10号「ディクスン・カア傑作集」から「世界探偵小説傑作選」を刊行し、特集を組み、内外の作家を数多く紹介した。
1955年(昭30)4月廃刊。計130冊。



ベントリー,E・C(Edmund_Clerihew_Bentley)

1875年(明8)、イギリスのロンドン生まれ。息子は小説家、イラストレイターのニコラス・ベントリー。
最初、法律の勉強をしていたが、のちに「デイリー・ニュース」や「デイリー・テレグラフ」紙の記者を勤め、主として外国政治問題について論評を行った。また、「パンチ」に寄稿した諧謔詩は評判になった。
1904年(明37)にE・クラリヒュー名義でユーモア小説を発表。
1905年(明38)にE・クラリヒュー名義で発表したはじめての刊行物である諧謔詩集「初心者向けの伝記」には、聖ポール学院で知り合った親友のチェスタトンが挿し絵を描いた。
チェスタトンに挑戦するために、1913年(大2)には「トレント最後の事件」を発表し、恋愛を取り入れた作品として大きな反響があった。当初は「フィリップ・ガスケット最後の事件」と題され、ダック・ワークス社の処女作コンテストに応募したが、クラブの晩餐会で隣り合わせたアメリカの編集者に話をしたところ、興味を持たれたので、原稿を取り戻し、探偵の名を変え、題名を「The Woman in Black」を変えて出版した。イギリス版はジョン・バカンの尽力でアメリカ版と同年同月に出版された。
1918年(大7)、「生ける死美人」の名で「トレント最後の事件」が「探偵小説」で訳される。
1936年(昭11)、イギリス探偵作家クラブの二代目会長に就任。
1956年(昭31)、死去。
黄金期の幕開けを告げる作家であり、現代探偵小説の父として位置づけられる。


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